■ 泡 沫 の 華 ■




 同級生の鉢屋三郎が居なくなってから半月と少しが過ぎた。
 僕の目は相変わらず彼の姿を探す癖が抜けず、勉強にも実技にも身が入らない。
「雷蔵、お前大丈夫か?」
 ぼんやり窓の外を眺めていると後ろから八左ヱ門が声を掛けてきた。
「何が?」
「アイツが居なくなってから、お前ずっと元気無いから…。こないだのテストだって赤点だっただろ?らしくなく」
「追試で合格点取ったから大丈夫」
「そう言う意味じゃないって」
 少し、八左ヱ門の声のトーンが下がる。わかってる。わかってるよ。
「なぁ、八左ヱ門」
「何?」
「いつだったかな、僕が此処から外を眺めてると、今丁度お前がいる場所に三郎が来てな、僕と同じように外を眺めて『良い天気だな』って呟いたんだ」
「雷蔵…」
 八左ヱ門が辛そうに俯く。でも僕は話を止めない。
「窓の外だって…ほら、向こうにデカい木があるだろ。昔はよく二人で登ったなぁ」
「雷蔵、やめろよ…」
「あっちの蔵なんか、内側の扉の取っ手が取れて閉じ込められて、二人で泣きながら助けてって叫んだり…」
「やめろって言ってるだろ!」
 八左ヱ門がズカズカと近付いてきたかと思うと、僕はグイッと強く肩を掴まれた。
 無理矢理向きを変えられ、僕は八左ヱ門の顔を真直ぐ見つめる。
「雷蔵、アイツの事を忘れろとは言わない。でもな、お前を見てると痛々しいんだよ!お前このままじゃ、思い出に押し潰されるぞ!!」
 声を荒げて叫ぶように言う八左ヱ門。その口振りから、彼はもう三郎の帰還を半ば諦めているのだろう。
「雷蔵…多分、お前は知らないだろうけど、…噂、なんだけど、アイツが受けた依頼ってのが、どうやら『死間』らしいんだ」
 それを聞いて、僕は元々大きい目を更に大きく開いた。
 死間―それは死を覚悟して敵地に進入する捨て駒の忍者を言う。
 だが、この学園は死間の依頼を受けるのは禁止されている。それを何故彼が…?
「最初その依頼が学園に来た時は、単にある城の若君の護衛だったらしい。でもその城が別の城と戦をしていて、若君の命が狙われたから、急遽アイツが身代わりになったらしい…」
 徐々に八左ヱ門の顔が辛そうに変化する。
 成程、変装の達人の彼なら、若君の身代わりになっても誰も気付かないだろう。
 そして、それで敵忍者に掴まったのであれば、間違い無く命は無い。
「八…教えてくれてありがとう。でも僕はその言葉を信じる訳にはいかない」
「雷蔵…っ!」
「僕は三郎の骨を見るまでは、生きてるって信じ続けるよ。でないと、もし三郎が帰ってきた時に誰も信じて無かったら、三郎きっと悲しむよ」
「………」
「それに僕は大丈夫。三郎がいなくて悲しいのは僕だけじゃない。八左ヱ門だって、三郎の名前を呼べない程、悲しんでるんだろ?今も…」
「ッ!」
 その瞬間、竹谷の表情が泣きそうに歪んだ。
 僕の前で涙を見せたくなかったのか、彼は僕に背を向けると逃げるように走り去った。
 今の言葉、ちょっと竹谷には辛過ぎただろうか。
 後で謝りに行こう。そう思いながら、僕は再び外を眺める。
 そう言えば、竹谷と話してる時の僕、ずっと無表情だったな。
 僕は凍り付いたように動かない頬を指先で撫でた。
 素顔なのに、仮面を被っているようだ。
「三郎とは逆だね…」
 アイツは仮面をしてるのに、素顔のようにコロコロと表情が変わった。
 僕も授業で変装の術を習ったけど、他人の顔に化ける時自由に表情を変えられるように顔を作るのは至難の技と言うのを思い知らされた。
 そんな難しい事を簡単にこなす三郎は、本当に凄いと思う。
 これじゃノロケだ。と、別に口に出して言った訳じゃないのに、なんだかくすぐったいような気分になった。
「三郎…早く、帰ってこいよ」
 決して届かないと知りながら、僕は目が届く一番遠い所を見つめて呟いた。

 三郎が居なくなって変わった事と言えば、やたら散歩の時間が増えた事だ。
 この学園の中を、僕達はいつも二人で歩いた。学園の何処を見ても、記憶の中にアイツが居た。
 例えば炭小屋。地面に落ちてる小さな木炭を拾っては、壁に落書きをしていた。
 例えば焔硝蔵。夜は暗いから、良くクラスメイト全員で肝試しをやった。よく三郎がオバケの顔をして仲間達を驚かせたのを覚えている。
 例えば開かずの間。教職員が生活する長屋の奥に、ずっと鍵の掛かった部屋がある。鍵の外し方を教わった後、その部屋の鍵を外そうと何度も赴いたのだが、どうしても鍵が開かなくて……?
 ふと足が止まる。
 開かずの間へ向う途中の廊下に、見知らぬ立て札があった。

 『保健委員会第二会議室』

 そう書かれた札が、行く先を塞いでいた。確かにこの先には新野先生の部屋と開かずの間があった筈。恐らく、第二会議室の部屋は新野先生の部屋だろう。
 しかも誰が書いたのか、『立ち入り禁止!不運が感染るよ!』とか『この先→不運』って落書きまで書かれていた。
 低レベルな悪戯だ。昔の三郎を思い出す。
 いつの間にか僕の手は、先程拾った木炭の欠片で看板の空いてる場所に『鉢屋参上』と書いていた。
「あ〜あ、こんな所に落書きしたら駄目じゃないか、三郎…」
 居る筈の無い彼を叱り、僕は踵を返してその場を後にした。

 夜、僕は布団の中で何度目かの寝返りを打った。
 ここ最近、自力では眠れない日が続く。昨日は疲れてちゃんと寝たから別に徹夜で起きていても良いのだけど、寝てないといつまで経っても三郎が部屋に入って来れない気がした。僕達、喧嘩分かれしたんだし。
 仕方が無い、と、僕は布団から出た。
 医務室に行って、眠剤か何かを貰おう。
 そう思って、僕は部屋を出た。

 医務室はまだ明りがついていた。誰かいるのだろうか。
 戸をノックすると、「開いてますよ」と優しげな声が聞こえた。
「新野先生、まだ起きておられたのではすか」
「ええ、ちょっと煎じ薬を作ってまして」
 そう言って新野先生は釜の火を扇いでいた団扇を床に置いた。
「で、何か御用ですか?」
「ええ、眠れる薬が欲しくて…」
「そうですか。それなら直ぐに薬湯を用意します。あ、その間ちょっと釜の火を扇いでくれませんか?」
「はい」
 新野先生が立ち上がると同時に、僕もその釜の傍らに座る。
 何の薬草を煎じているのか、見ただけでは判断出来ない。
 紫の花の付いた、何処にでもあるような草だった。
「はい、どうぞ」
 まだ数秒もしない内に、先生は薬を差し出してきた。
「…早いですね」
「まぁ、君のように眠れない生徒は他にもいますからね」
 つまり、僕の前にも眠れない誰かが此処に来たのか。
 そんな事を思いながら、僕は少しずつ温かな薬を喉に落した。
「…彼が気になりますか?」
「?」
「鉢屋君の事。だから眠れないのでしょう?」
 図星。いや、僕と親しい人物なら皆わかるだろう。
 僕は彼の消失と共に変わったのだから。
「君達は本当に仲良しだからねぇ」
「………」
「…きっと、彼は直ぐに戻って来ますよ」
「だと…凄く嬉しいです」
 そう言って僕は気持ち表情を緩めた。少しは笑えただろうか。
「ささ、明日も早いですから、部屋へお帰りなさい」
「はい、ありがとうございました」
 礼を言って立ち上がる。しかし、急に足が身体を支えきれなくなって体勢を崩した。
「おっと」
 咄嗟に新野先生が身体を支えてくれたお陰で転倒だけは免れた。
 どうしたのだろう。身体が酷く重い。
「先程の睡眠薬の所為でしょう。一応薄めて渡したのですが、少々効き過ぎましたね。部屋まで送りましょうか?」
「いいえ、大丈夫です。失礼しました」
 まだフラフラと安定しない身体を無理に立たせ、僕は医務室を後にした。

 でもそこから先の事を良く覚えていない。
 気が付けば僕は戸も閉めないまま、自分の部屋の布団に倒れ込んでいた。
 朦朧としていたのに、よく部屋に辿り着いたなぁと我ながら感心する。
 掛け布団を被って居なかったからか、身体が冷えてブルリと震えた。
「あ…もう朝か……」
 外は既に明るく、朝練中の生徒達がえっほえっほと走っている声がした。
「…今日も帰って来なかったね…」
 足元で畳まれた布団を見て、僕は溜め息をついた。

 休みの日、は僕は兵助と学園の外に来ていた。
 町へ行く道中の茶屋で売ってる田楽豆腐が美味しいと評判らしい。
「ゴメンな雷蔵!付き合わせて」
「良いよ。どうせ暇だったし」
「本当は八や一郎も誘いたかったんだけど、八はまた毒虫逃がして生物委員会緊急出動だし、一郎は委員会活動で忙しいって」
「え?あの委員会嫌いな一郎が?珍しいね」
「あぁ、雨が降らないと良いけど…あ、あの店だ」
 兵助は道の脇にポツンとある茶屋を指差した。
 子どものようにはしゃぎながら兵助は椅子に腰掛けた。
「おばちゃん!お茶と田楽豆腐二つずつ!」
「はいよ」
 香ばしい焼けた味噌の薫りがする。
 いつも茶屋と言えば団子だったが、偶にはこう言うのも悪くない。
(そう言えば、よく三郎とおつかいに行っては、帰りにお団子食べてなぁ…)
 いつだったか、まだ低学年の時に貰ったお駄賃でお団子買って、一皿を二人で分けてたら一本だけ余って…、食べるべきか止めておくべきか迷ってたら、三郎が半分こにしてくれたっけ。
「雷蔵、田楽来たぞ」
 はっと我に返る。目の前に田楽豆腐を差し出された。
「うん、ありがとう三郎」
「えっ?」
 目の前の人物がぽかんと目をパチクリさせる。
 しまった。今そこにいるのは三郎じゃない。兵助だ。
「あっ…ご、ゴメン」
「いや、良いよ。て言うか今!今お前笑ったよな!」
「え?」
 兵助が僕の頬を挟んでそっちへ向かせる。
 そう言えば…今自然に笑えたような気がする。
「良かった。お前もうずっと笑わないのかって心配してたんだ」
「…ごめん」
「謝らなくても良いよ。さ、田楽冷めるから早く食っちまおう」
 そう行って兵助は微笑みながら田楽を頬張った。
 でもやっぱり、横に三郎がいる時に笑いたかったなぁ…。

「お?」
 どれだけ食べるのか、兵助がおかわり頼んだその時、自分達が来た方向から三人の子どもが、ガラガラと車を引いて駆けて来た。
「誰だ?乱きりしん…じゃなさそうだが」
 近付くにつれ、その顔がハッキリわかってくる。
 あれは二年だ。二年い組の池田三郎次、能勢久作、川西左近の三人だった。
「ストォップ!!はい、休憩!!」
 はあはあと肩で息をする三人。学園から走ってきたのだろうか。
「おつかいか?」
「あ、久々知先輩。はい。町で古本市場が開かれているので、新しい本を買って来るように中在家先輩に言われました」
「そう言えば今日だったね、買い出しの日」
 この前の図書委員会議でそんな事を言っていたなと思い出す。
 ふいに三人は、物欲しそうな目で見つめて来た。
 恐らく、兵助が持ってる田楽に惹かれたのだろう。
「僕達も食べようか」
「賛成!」
「田楽三本お願いします!」
 車を店の前に置くと、三人は僕達に並んで椅子に座った。

「…不破先輩、なんか元気無いみたいですけど、どうしたんですか?」
 出された田楽の串を持ちながら、心配そうに三郎次君が僕の顔をのぞき込む。
 そうか。三郎次君はあんまり僕と接点が無いからあの事を知らないのか。
「僕、そんなに元気無い?」
「え…だって、いつもにこにこしてるのに、今日なんか、暗いって言うか…」
「おい、よせよ三郎次」
 そう言って久作君が三郎次君の言葉を制する。そして僕に聞こえないように耳打ちをした。
 そんな事しなくても、言ってる内容は大体わかるのにね。
 少しして三郎次君は、少し驚いたような、そして申し訳無さそうな表情をした。
 暫く、固い空気に包まれる。
「ほらほら、そんな辛気臭い顔しないの。折角の田楽が美味しくなくなるよ?」
「ご、ゴメンなさい、雷蔵先輩…」
「謝らなくても良いって。な?」
 慰めてみても、彼の表情は沈む一方。釣られるように久作君や兵助まで黙っちゃった。
 やっぱり、一番元気無い人が誰かを励ますって無理があったかな。
 そんな事を思ってた時、場の空気に絶え切れなくなったのか、左近君が急に立ち上がり、僕の前に立った。
「不破先輩!」
「何?」
「鉢屋先輩は、きっと元気で戻って来ますよ!だって五年生で一番優秀な忍たまなんでしょ?だから…信じてあげましょうよ」
「………」
 正直意外だった。まさか彼からそんな言葉が出て来るなんて…。
 僕は、三郎は絶対帰って来ると信じてる。でも、「元気で」なんて言葉は無かったかもしれない。
 彼が帰って来る時、それは五体不満足か、死体か、または魂だけの姿となってか。
 その方が確率高いから致し方ないとは言え、無事に帰って来ると言う考えは、いつの間にか忘れてたのかもしれない。
 でも、左近君があまりにキッパリと言い放つものだから、僕の冷めた心が、少し温かくなったような気がした。
「左近君…ありがとう。君の言う通りだ」
「先輩…」
「僕はまだ諦めないよ。アイツは、きっと帰ってくる。案の定、もう町まで戻ってるかもしれないね」
「うん、そうですね」
 彼がニッと笑うと同時、他の二人にも笑顔が戻った。
「田楽、驕ってあげるよ。おばちゃん!田楽五本追加!」
「えっ!良いですよ!悪いです」
「元気付けてくれたお礼だよ。兵助もまだ食うだろ?」
「まぁ…私は貰える豆腐は遠慮無く貰うぞ」
「君達も遠慮しなくていいから、な?」
「そうですか…。それじゃあ頂きます!」
「不破先輩、ありがとうございます!」
 そう言って頭を下げながら、三人は新しく運ばれて来た田楽に手を伸ばした。

 田楽を食べ終わった三人は、礼を言うと町へと向かった。
「…意外、だったな」
「うん、まさか左近君に励まされるなんてな」
「でも、俺もちょっと信じたくなったな。三郎の無事…」
 それを聞いて、僕は少し安心した。やっぱり僕一人が待ち続けるのは心細い。
「そうだね。…さて、僕達もそろそろ行こうか」
 懐から財布を取り出し、代金を椅子の上に纏めて置く。
 そして此処へ来た道とは逆の方へ進んだ。
「おい、何処行くんだよ。学園はそっちじゃないだろ?」
「町に行く。三郎を探しにな。あとついでに二年生の手伝いも。本って結構重いからさ」
 それを聞いて兵助は小さく溜め息をついて笑った。
「…仕方無いなぁ。付き合ってやるよ」
「早く行くよ。二年生が見えなくなる」
 財布を懐にしまいながら、僕達は車を引く下級生を追い掛けた。

 眠れない身体を無理矢理寝かし付けたら嫌でも三郎の夢を見る。
 良い夢もあれば悪い夢も見るけど、今夜は後者だった。
 びっしょりと汗で濡れた身体を起こす。寝間着が肌に張り付いて気持ち悪い。
 夢見悪いと舌打ちする反面、夢で良かったと安心する自分がいた。
 さて、これからどうしようか。寝るにしろ目が冴えきっている。
 少し夜風に当たろうか。僕は汗で濡れた寝間着を脱ぐと制服に手を伸ばした。

 眠れない夜に必ず行くお気に入りの場所がある。
 忍術学園を見下ろす小高い丘の上。
 僕だったり三郎だったり、どうしても眠れない夜は必ず此処に来た。
 此処から見下ろす学園が好きで、ずっと居ると悪い夢とか考えとか全て忘れられた。
 でも、今日は先客がいた。
「…あれ?」
 背の低い草が生い茂る中、ポツンと置かれた腰を掛けるのに丁度良い岩。
 そこに若草色の制服が座って空を見上げていた。
「…えーと、君は…」
「あ!不破先輩!」
 僕に気付いた彼は、少し驚いたように声を上げた。
 名前…なんだっけ。言われたら思い出しそうなんだけど。
 僕が少し困った顔してると、先に向こうから名を名乗った。
「…三年は組の三反田数馬です」
「あぁ、そうそう。思い出したよ。ごめんね」
「いえ、忘れられるのは慣れてますから」
 そう言って彼は苦笑いを浮かべる。確か保健委員会で彼も例に漏れず不運なんだっけ。
「君も眠れないのかい?」
「あ、いえ…ちょっと空を見たくなって…」
「空?」
「はい。流れ星、見れないかと…」
 そう言って彼は再び空へ目を向けた。
 流れ星と言えば願い事が定番だが、何か願いでもあるのだろうか。
 僕は草の上に腰を下ろすと同じように空を見上げた。
「先輩?」
「僕も流れ星探すよ。良い退屈しのぎにもなるし」
「そう、ですか」
 二人揃って空を見上げる。
 月が明るくて星が少し少ないが、それでも十分綺麗な空だった。
「三反田君は流れ星を見付けたら、何をお願いするんだい?」
「…それはっ…」
 そう言って顔を背く彼。好きな人でもいるのだろうか。
「ごめん。野暮だったね」
「いえ、すみません…」
「謝る事無いよ」
 草の上に寝そべる。ふんわりと地面を覆うシロツメグサが心地良い。
「此処って流れ星良く見えるよね」
「そうなんですか?僕は…まだ見た事無いんです」
「そうなんだ。でも僕も初めて見たのは君ぐらいの歳だったよ」
 そう、あれは三年の蒸し暑い夜。三郎と学園を抜けて此処に来たんだ。
 風が気持ち良くて、二人で空を見上げて寝転んでいたら、一筋の光が空を流れて。それを三郎と一緒に見られた事が嬉しかったなぁ。
 思い出の星空と今見ている星空が重なる。その時、後方の空に一瞬の光が瞬いた。
「あ!」
「えッ?」
「今っ!」
 僕が指差した時には既に光は消えていた。
 数馬君は見逃したらしく、ガックリと肩を落としていた。
「あ〜、また見逃した。やっぱり不運だ…」
「まあまあ、そんな時もあるよ」
「…不破先輩は何かお願い事、しました?」
 数馬君が問い掛ける。しない訳無い。
「うん、したよ」
「そうですか…」
 そう言って彼はゆっくり立ち上がった。
「もう帰るのかい?」
「はい。今日はもう見つかりそうに無いので」
「そっか。じゃあ僕も帰ろうか」
 よっ、と少し反動を付けて起き上がる。軽く伸びをしてから立ち上がり、服に付いた土を払った。
「あ、先輩。背中に葉っぱ付いてます」
「え、本当?」
 手探りで背中をまさぐる。ポタリと手の平に葉が落ちた。
「取れました」
「ありがとう。…あ」
 手の中にある葉を見て、僕は思わず声を上げた。
「四つ葉だ」
 幸運をもたらすとされる四つ葉のシロツメグサ。それがそこにあった。
「凄いじゃないですか!流れ星見付けた上に四つ葉を見付けるなんて!」
「うん、凄い偶然。なんだか、嬉しくなっちゃうね」
 と、僕はもう一度その草を見る。
 葉の大きな、立派なシロツメグサだった。
「…あ、あの、雷蔵先輩」
 僕がその葉を愛しげに見つめていると、数馬君は少し言いづらそうに口を開いた。
「何?」
「あの…厚かましいお願いですけど…そのシロツメグサ、僕にくれませんか?」
「え?」
 意外な申し出だった。幸運の象徴である四葉を欲しがるのはわかるが、こういうのは自分で見付けてこそ価値があるものだろう。
「それは構わないけど…どうしてだい?」
「いや…その、僕が持つ訳ではないので…」
 成程、と小さく頷く。つまり誰かにプレゼントするつもりなのだろう。
「良いよ。僕は流れ星も見たんだし。はい、どうぞ」
 葉の形が崩れないように、僕は彼の手の平に草を置いた。
 そして、彼はにっこり微笑むと「ありがとうございます!」と礼を言った。

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