「…やった、のか?」
「あぁ、間違ない。今度こそ仕留めたぞ」
物々しく火縄銃を持った男達。
彼らが見詰める先には、たった今事切れた一匹の獣がいた。
金色の美しい毛並み、顔は白い毛で覆われた大きな雌狐。その狐の尾は、九本に分かれていた。
九尾の狐。名の知れた、人間を惑わす恐ろしい妖怪である。
「連れて帰るぞ」
「はい…ですが、本気でやるのですか?」
「それしか手が無いのだ。こいつの肉さえあれば、……!」
手際良く狐の足を縛り、担ぎ上げる男。
狐の身体からは、未だに血が滴っていた。
「では、早々に帰ろう」
「はい!」
ゾロゾロと立ち去る人間達。
その一部始終を、一匹の子狐が憎しみを込めた赤い瞳で見詰めていた。■ 刹 那 の 雷 、 金 色 の 尾 ■
目の前に転がる赤。
辺りの大地はおびただしい量の血液で覆われていた。
しかしそこに体液の主はいない。いるのは、腹を膨らませた狐が一匹。
「流石に二人は食い過ぎた」
少し後悔するように、狐は血で汚れた口を拭った。
狐と言うが、厳密に言えばただの狐ではない。
耳と爪、そして臀部よりふさふさと揺れる大きな四本の尾、それ以外は人間の少女と同じ姿をしていた。
その狐は生まれついての妖狐で、名を三郎と言った。
「あ〜、苦しい…でも美味しかったな。しかし、馬鹿な人間もいるもんだな。耳や尾のある化物にホイホイ寄って来るなんてよ」
くるり、と宙で身を翻す。少女の姿が少年の姿へと変わった。
「っと…あぁ〜、動けねぇ!賊の肉は腹にもたれる!」
ごろり、と地面に寝転がる。満腹で動く気になれない。
このまま昼寝でもしようか、と、三郎はそのまま目を閉じる。
しかし、鼻先に落ちた雨粒に目を開くと、空には黒々とした暗雲が立ち込めていた。
「やっべ!今日は昼から雷だった!」
獣故、稲妻を苦手とするのは致し方ない。
彼はガバッと起き上がると、苦しい腹を抱えながら寝床に向かって走り出した。彼は数々の物の怪が住むと言う森の奥に暮らしていた。
人間を憎み、見付けては捕って食うと言う凶悪な妖狐と言えば、地元の人間で知らぬ者は居ない。
里の者が近寄らないこの森は、盗賊達の絶好の隠れ家となっていた。
その為に狐は食うに困る事は無い。しかし、中年男の肉は力が付くが消化に良くない。
次第に雨脚が強まる中走っていた三郎は、ふいによろよろと速度を緩めた。
「うぇ…気持ち悪…食った後走るもんじゃないなぁ」
よたよたとおぼつかない足取りで歩く三郎。
本格的に雨が強くなる。血の付いた身体を洗う手間が省けたのはラッキーだが、遠くの空が低く呻く音を聞いて、彼はビクビクと尾を震わせた。
刹那、空が瞬き雷鳴が轟いた。
「ぅわあッ!!」
耳を塞いでしゃがみ込む。
ゴロゴロと不穏な音を残して再び薄暗い空に戻る。大分近くに落ちたようだ。
「は、早く帰んないと…」
ペタペタと四つん這いのまま、三郎は動き出す。
幸い巣は直ぐそこだ。次の雷鳴までには辿り着けるだろう。
(…見えてきた!)
草むらに隠れた巣穴の入口を見付けて、彼はホッと息を漏らす。
このまま一気に駆け込もう。そう思った矢先、ふいに三郎は足を止めた。
(…俺の寝床に…何かいる?)
鼻を掠めた生き物の匂いに、彼は警戒しながらそろそろと近付く。
草の合間から顔を出し、三郎は自分の巣を覗き込んだ。
(な…人間!?)
岩の窪みに出来た寝床、そこに俯せになるように、一人の少年が眠っていた。
歳は十四、五だろうか、顔は伏せられて見えないが、金色の髪を持つ少年だった。
(変だ、人間の匂いじゃなかったのに…。でも美味そうな人間だ)
ゴクリ、と三郎は喉を鳴す。
すやすやと、気持ち良さそうに眠る少年はそれに気付く様子は無い。
(間が悪いなぁ。満腹じゃなかったらこのまま食ってたのに。あぁ、でも逃すのは勿体ないな。久し振りの若い人間の肉だし…。なんか胃に優しそうだし一人ぐらいなら食えるかな。でも折角なら空腹の時に食いたいし…)
暫し思案し、そして決断した。
「今は片足だけ食って、逃げられないようにしよう」
片足を食べてしまえば、逃げられない上に、次に腹が減る頃には程良く恐怖と絶望が少年を満たしているだろう。
恐怖の染みた人間の肉は、特に三郎の好物だった。
眠っている少年が目覚めないように、そろりと少年の足元へ移動する。
「じゃ、頂きます♪」
ニヤリと笑みを浮かべ、彼は大きく口を開いた。
しかし、三郎のその鋭い牙が少年の皮膚に触れた瞬間、突然少年の身体が激しい光を帯びた。
「なッ!!?」
光は猛烈な衝撃となり、三郎の身体を軽く吹き飛ばす。
巣の外まで飛ばされた三郎は、近くにある大きな石にしたたかに頭を打った。
「がッ…!」
世界が歪む。目がチカチカと瞬いた後、視界が暗転した。
(一体…何が…ッ?)
自分の身に何が起きたのかわからないまま、三郎の意識は闇に沈んだ。『……、………』
(何?母さん…聞こえないよ…)夢を見た。
いや、夢と言うより記憶と言った方が正しい。
三郎を育てた、母の記憶。
九尾でありながら、決して人を襲うことの無かった母。
他の妖狐と違い、慈愛に満ちた優しい母。
それでいて、どんな獣より強く、三郎を守り続けた母。
三郎は誰よりも母を尊敬し、母のような獣になりたいと思っていた。『…、っ…………』
(母さん…言ってる事が難しくてわからないよ…)
『……………』
(何処に行くの?ねぇ、母さん…行かないでよ)しかし、そんな優しく強い母は、もういない。
欲を持った人間の手により殺されてしまった。(母さん…何処?何処に行ったの?返事してよ…)
九尾の狐の肉は、魔除けの妙薬となる。その為に母は命を落したのだ。
何故、何一つ悪い事しなかった母が殺されなくてはならなかったのか。
母が殺されて以来、三郎は人間を憎むことで精神を保っていた。
人間を殺し、人間を食う事で邪心を集め、普通の妖狐なら数百年掛かる所を僅か十年で尾を四本まで増やす事が出来たのだ。
全ては、母の敵討ちの為に…。(母さん……)
頬を伝う涙が、三郎を目覚めさせた。
視界に自分の前足が見える。変化が解け、彼の姿は狐そのものになっていた。
いつの間にか三郎は、巣穴の中に寝かされていた。少年の姿も、既に見当たらない。
(ああ、逃したか。勿体ない事をしたな…)
足を動かそうとして、彼は身体の違和感に気付く。
(…どうしたんだ?身体が動かない…)
何故か人の姿に変わる事が出来ない。声を出そうとすれば、キューンと切なく喉が鳴るだけだった。人語すら操れなくなっている。
(妖力が弱くなってる…。頭を打ったからか?)
ズキズキと後頭部が痛む。少しコブが出来てるのかもしれない。
(…ま、妖力ぐらい明日の満月になれば復活するし、気にする事は無いか)
自分の中で結論付けて、三郎は再び目を閉じた。
獲物を逃したと言うのに、見た夢が夢だったからか、妙に気持ちが安らいでいる。
今一度、心地良い夢を見ようと、三郎は敷かれた毛皮に頬を擦り寄せた。しかし、
(…毛皮?)
ふとした疑問に三郎は目を開く。彼は巣穴に毛皮など敷いた覚えは無かった。
自分の身体の下にあるものに目を向ける。その瞬間、三郎は驚愕に目を見開いた。
(な…、なッ!?)
瞬時に穏やかだった心がざわめきだす。
金色に輝く美しい毛波、頭部の毛は白く、分れた尾の数は九本。
それは紛れも無く、三郎の母の毛皮だった。
(か、あさんッ!…母さん!!!)
予想にもしなかった母との再会に、三郎はわなわなと身を震わる。
気が狂いそうな感情が、三郎を支配した。
何故母の毛皮が自分の巣穴に。一体誰が。
その疑問はガサリと草が揺れる音と共に判明した。
「あ」
(ッ!?)
巣の入口に現れる人影。
それは先程食い損ねた少年の姿だった。
少年の何処か人懐っこい視線と三郎のそれが絡む。そして、三郎は悟った。
(まさか…こいつが…!?)
九尾の狐の肉を食らった者は、邪気に襲われない体質となる。
先程三郎が少年に噛み付いた時に妖力ごと弾き飛ばされたのが、その力の所為だとしたならば…。
(こいつが、私の母を欲して食った者)
それならば、少年が母の毛皮を所持していた事にも納得出来る。
確信した瞬間、三郎は凄まじい憎しみが湧き上がるのを感じた。
こいつがいなければ、母は死ぬ事が無かった。こいつがいなければ、身を焦がす程の憎しみを知らずに生きていけた。
殺してやりたい、と三郎は思ったが、妖力の抜けた身体は思うように動いてくれない。
すると、少年の方から三郎に近付いてきた。
何をするつもりなのかと、三郎は気持ち身構える。
しかし、三郎の険しい心境とは裏腹に、少年はにこりと微笑んで手を差し出した。
「ん」
(…?)
少年が差し出した手の上には、山で採れた野苺が数個乗っていた。
つまり、食べろと言う意味だろう。
「んっ」
(………)
しかし、長く人の肉しか食べていない三郎にとって今さらそれが食べ物と受け取る事が出来ない。
ぷい、と顔を背けると、少年は困ったように笑い、近くの石の上に苺を乗せて、その内一つを口に放り込むようにして食べた。結局少年は自分で野苺を全部食べてしまい、再び寝そべって夢の中へと落ちていった。
眠る少年の横で、三郎は思案に暮れていた。
突然目の前に現れた母の仇、この少年をどのようにして始末しようか。
幸いにも少年は三郎に対して微塵にも警戒する様子が無い。隣で眠っているのが何よりの証拠だ。
(隙を見て喉を噛み切ってやろうか…いや、また弾き飛ばされるのが関の山だ。それに、俺の力じゃ九尾の力に対応出来ない)
三郎は悪名こそ高いが、妖怪としてはまだまだ半人前。九尾の力を持つ男相手に勝てるとは到底考えられない。
だが、九尾の力に対抗出来る力を蓄えるには長い時間が掛かる。
しかも急に現れた少年だ。いつ急にいなくなるかもわからない。
どうにかして少年を引き止める方法は無いものか。
考える内、一つの名案が浮かんだ。
(そう言えば、人間は『トモダチ』と言う仲間を作って群れる生き物だったな)
もし自分が少年の『トモダチ』になれたら、少年を引き止められる上に警戒を緩ませる事も出来る。
三郎は巣の外を見た。月は見えないが、恐らく満月の一歩手前の円に近い形をしているだろう。
明日は具合の悪い振りをして少年を引き止めて、夜になれば人の姿に化けられるようになるから、その時が『トモダチ宣言』をするチャンスだ。
(待ってろよ。いつか最高の絶望をくれてやるからな)
少年の身体を食いちぎる姿を思い浮かべながら、三郎は明日の夜少年に告げる台詞を考えた。
その夜、三郎はわざと弱った振りを見せた。
弱者と見せかけて相手を油断させるのは本来狐の習性である。ましてや普段から人を化す彼にとっては動作も無い事。
案の定、少年は苦しそうに息をする狐を心配し、何度もその身体を擦ったり、更に野苺を摘んでは食べさせようとした。
何度か少年が三郎に触れる機会があったが、昨日のように弾き飛ばされることは無かった。どうやら少年に意識があって尚且つ警戒心が無い時は魔除けの効力が弱いらしい。
それを知り、ますますしめたと三郎は心の内でほくそ笑む。
そのまま一晩中苦しむ振りを続け、夜が明けてからは落ち着く素振りを見せた。
昼が来て、日が傾く頃には三郎は苦しむ演技を止めた。
あくまでも少年に「介抱を受けて元気になった」と思わせる為に、撫でてくる手に戯れついたりもした。
その様子に、少年も安堵したように微笑む。
そして夕方になり、月明りが強くなった頃を見計らって、三郎は行動を開始した。
(よし、作戦を始めよう)
ゆっくりと立ち上がり、外へ向かって歩き出す。
まだ妖力の足りない身体は重かったが、なんとか動いた。
「…?」
巣の入口で木の実等をつまみながら座っていた少年は、三郎の行動に気付き目で彼のあとを追う。
やがて三郎の姿が草むらに消えると、不安になった少年は狐の後を追いかけ始めた。
(かかったな…)
少年が付いて来るのを確認しつつ、三郎はある場所に向かって歩き続ける。
やがて背の低い草の並ぶ野に出ると三郎はその真ん中に腰を下ろした。
ややあって少年も三郎に追い付く。
三郎は天を仰いで月を見上げた。
少しも欠けていない、完璧な満月。
月の光を浴びていると、三郎は徐々に力が漲ってくるのを感じた。
フワリと身体が軽くなり、湧いて来る力に身を任せる。
「あ…」
やがて身体が変わり、狐がゆっくり人の姿になってゆくのを、少年は目を見開きながら見詰めていた。
「…やあ」
三郎は少年の方へ振り向きながら微笑んだ。
それにつられるように、少年も少し笑みながら頭を下げた。
「ありがとう、君のお陰で助かったよ」
一歩一歩ゆっくり歩み寄りながら、三郎は『助けて貰った狐』を演じる。
「私はこの森に住む化け狐、三郎だ。驚いたよ。昨日巣穴に戻ったら君がいて、追い出そうと君に触れた途端弾き飛ばされたのだから」
台詞の中に、少しの真実も含ませる。少年が自分の能力にどれだけ気付いているのか調べる必要があった。
少年は、ハッと何かに気付いた顔をすると、申し訳無さそうに表情を変えて三郎の後頭部を撫でた。自分で傷付けたと自覚している所を見ると、どうやら己の持つ能力は理解しているらしい。
「心配してくれてるのかい?ありがとう。でも大丈夫。私は月の光を浴びると回復が早いから」
「………」
「昨日私は君に触れ、一時的だが全ての力を失った。これは君を追い出そうとした私への罰だったのかもしれない」
ぶんぶんと首を横に振る少年。その表情から謝罪が見てとれた。
「ふふ、君は優しいんだね。でも、その心に私は救われたんだ。君が助けてくれなかったら、私は雨に…いや、雷に打たれていたかもしれない。本当にありがとう」
「……」
少年は指で頬を掻きながら照れ臭そうに笑った。狐の本心に気付く様子は全く無い。
「…君、名前は何て言うんだい?」
「…!」
微笑んでいた少年の表情が一転して困り顔になる。
表情の変化に、狐は首を傾げた。
「どうした?」
「…ぁ…、……え…」
何か言おうとしているのはわかる。しかし、その口から言葉らしい言葉は出て来ない。
そう言えば、昨日から少年は一度たりとも言葉を発していなかった。
「もしかして…言葉が不自由なのか?」
「……うん」
頷くようにうなだれる少年。名前を聞くのは難しそうだ。
「そうか…じゃあ、『雷蔵』」
「?」
「私が付けたお前の名だ。雷が鳴る日に出会った。だから『雷蔵』だ」
「!」
その瞬間、彼は驚いたような不思議な表情をした。しかし嫌がってはいないようだ。
そして三郎は、一番最初に考えた台詞を口にする。
「雷蔵、私と『トモダチ』にならないか?」
「!!」
パァっと少年の表情が輝いた。少年は三郎の手を取ると「うんっ!」と元気良く頷いた。
計画通り、と三郎は心の中でニタリと笑う。
人間は特別な力など無くても『トモダチ』や『ナカマ』と言う言葉だけで縛れる生き物だと、三郎は知っていた。
(あとは首を取るチャンスを狙うだけだ)
焦る事は無い。ゆっくりと機会を待てば良いと自分に言い聞かせ、三郎は無邪気な顔を作って笑ってみせた。(さて、『トモダチ』になれたのは良いけど…)
翌日、三郎は木の枝の上で次はどのような行動をとろうかと考えた。
『トモダチ』になる事は出来た。しかし、具体的に『トモダチ』になって何をすれば良いのかわからない。
元々彼は孤独に身を置いて生きてきたので、他人との関わりを持つ事にはとことん疎かった。
(一緒に居るだけで良いのか?…いや、それじゃ何も変わらないだろ?じゃあ力を合わせて人間狩り…て、ビビらせてどうする…)
考えるがなかなか良いアイディアが浮かばない。
その時、木の下より握り拳ぐらいの大きさの何かが三郎の膝の上に投げ込まれた。
「ん?なんだこれ?」
膝の上に転がっている球状のそれを掴み上げる。
草を幾重にも巻いてそれを蔓を巻き付けた、毬のようなものだった。
下方へ目を向ける。木の下で雷蔵が無邪気に手を振っていた。
「どうした雷蔵。こんな物投げてきて」
そう言いながら三郎は木の枝から飛び降りる。
雷蔵は三郎から少し離れると草の玉を指差しながら手を振った。
投げろと言う事だろうか。
「…ほら」
取り敢えず三郎は玉を雷蔵に投げ返す。
すると雷蔵は再びその玉を投げて寄越した。
「…?」
雷蔵の意図が読めない。この草の玉を投げては受ける行動に何の意味があるのか。
一つ確かなのは、雷蔵は楽しんで玉を投げて来る事だった。
一回投げる度に、雷蔵は一歩ずつ三郎から離れる。玉も思い切り投げないと届かなくなってきた。
そろそろ腕が疲れて来た。その時だった。
「はあッ!」
雷蔵は掛け声と共に大きく玉を投げた。
「えッ!うわっ!」
あまりにも高く飛んで来たので、三郎はついその玉を受け取り損ねた。
玉を落とす三郎を見て、雷蔵はケタケタと笑う。
「ッ…このっ!」
笑われたのが癪だったのか三郎は負けじと大きく玉を投げ返した。
慌てて追いかける雷蔵だが、玉は彼の頭上を軽く超えて遠くに転がった。
「ふん、私の方が遠く飛んだぞ」
「ッ!」
雷蔵も悔しかったのか、更に力一杯玉を投げる。
「はっ、こんなヒョロヒョロの玉ぐらい…いてッ!頭に…ッ!」
「あはは!」
「わ、笑うな!仕返し、だッ!」
「っッ!!?」投げる、受ける、落とす、外す。
三郎がそれは人がする『遊び』である事に気付いたのは、二人が力尽きるまで草玉を投げ合った後だった。「はあっ…はあっ…」
「はーっ」
玉投げに全体力を使い果たした二人は、ごろりと草の上に横になって荒い息を整えた。
「つ、かれた…人間はこんな激しい遊びをするものなのか?」
ヘトヘトになった身体をよっこらせと起こしながら、三郎は雷蔵に問う。
だが、口が利けない雷蔵はただただ笑うだけだった。
「今の…えーと、玉投げ?…君はこう言う遊びが好きなのかい?」
「うんっ」
「そうか。私だったら、そこらへんのネズミとか追い回したり、狐火で虫を追い回したりする方が好きだな」
「??」
不思議そうに首を傾げる雷蔵。
三郎が人間の遊びを知らないように、雷蔵も狐の遊びを知らないのだ。
説明するより見せた方が早いと、三郎は試しに狐火を作ってみせた。
ゴゥ、と瞬時に浮かび上がる炎は、雷蔵の髪を軽く舐めて消えた。
「おぉ!」
凄い凄い!と言わんばかりに雷蔵は手を叩く。
もう一度狐火を作ってふわふわと宙を漂わせると、彼は面白そうに狐火を追い掛け始めた。
あれ程体力使った後なのにまだ動けるのか。感心しながら三郎は狐火を操る。
(…いっそこのまま焼き殺してやろうか)
そんな考えが三郎の脳内を巡る。
しかし、狐火は雷蔵に触れた瞬間に音も無く消えてしまった。やはり九尾の力に太刀打ちするには力が足りない。
消えてしまった狐火に、雷蔵が目で訴える。「もう一回」と。
(ま、あいつと遊ぶには丁度良いか)
三郎はそう口の中で呟くと、立ち上がって大量の狐火を作った。
「行くぞ雷蔵!」
「ーっ♪」
一斉に襲いかかる狐火に、雷蔵は更に興奮したようにそれを追掛けた。無邪気なその様子を見て、三郎の口が無意識に弧を描くに、彼は知る由も無かった。
その夜、三郎は己の腹の音に目が覚めた。
(腹…減った…)
ぼんやりと考えながら最後に食事をしたのはいつか思い出す。
確か、一昨日に男二人食って以来水や雷蔵に無理矢理食わされた野苺ぐらいしか口にしていない。
ゆっくり身体を起こした。隣では雷蔵がそれに気付く事無く眠っている。
「…さて、今晩は何人食えるかな」
気配を消し、三郎は風となって巣を飛び出した。暫くして、彼は闇に蹲る人影を見付けた。
歳は二十だろうかと言う若い男が、粗末な服に似合わない上等な刀を抱いて眠っていた。
(なかなか美味そうな獲物だ。しかも良く眠っている)
女に化けて惑わす手間も省ける、と三郎は笑った。
足音を消して男に近付く。
強く肩を掴めばその身体はビクリと跳ねた。
「ひっ!?」
眠っている所をいきなり触れられて驚いたのだろう。男は目を丸くして三郎を見た。
「…こんばんは」
ピクピクと主張するように耳を動かせば男の顔はみるみる内に恐怖に歪んだ。
「う、わああぁぁ!ば、化け物!!」
咄嗟に身体を捩って逃げる男。しかし、目の前に現れた狐火に男は再び悲鳴を上げた。
「どうした。俺が怖いか?」
「よ、寄るな!来るなぁッ!」
「心配する事は無い。腹に入れば皆忘れられる」
「い、嫌だぁ!!!」
完全に腰を抜かした男に少しずつ近付く。時間をかけてゆっくり。
(そうだ。その恐怖を魂に刻め。そして大人しく喰われるが良い)
ペロリと舌なめずり。男の眼から涙が落ちた。「…ッ、ごめんなさいっ!」
「ん?」口を突いて出た男の言葉に、三郎は足を止めた。
「ごめんなさい!もう二度と盗みなんてしない!この刀も持ち主に返します!だから許して下さい!」
(こいつ…)
罪悪感を抱いているな、と三郎は察した。
この森に来る人間と言うのは、大抵極悪非道と呼ばれる人間ばかりだ。
悪事を重ね、人の居る場所で生きていけないような輩が集まる場所。
だが、目の前の人間はそうではない。
三郎は男の周りに集わせた狐火を消すと彼に背を向けた。
「え…えっ?」
「去れ。此所は悪を悪と見ない外道が集う森。お前のような人間が来る場所ではない」
これは慈悲などではない。邪心を持たない人間の肉で腹を満たすのは勿体ないと思っただけだった。
「あ、あの…」
「二度は言わん。次に会う時は容赦無く喉を噛み砕いてやる」
ニヤリと微笑んで発達した犬歯を見せつける。
それを見た瞬間、男は悲鳴を上げて逃げ出した。
(俺が求めているのは、もっと邪心に塗れた人間の肉だ。力が…力が欲しい)
仇討ちを成す為には、九尾の力に対応できる力が必要だ。
まだ尾が四本しか無い三郎だが、長い時間をかけて力を蓄えていけばそれなりに強い力を発揮出来る。その為には妥協は許されない。
三郎は次なる獲物を求めて闇へと消えていった。〜続〜
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