一番最初に感じたのは 胸の奥から感じる温かさ
その次は トクン…トクン…と言う音
胸の温かさは じわじわと…じわじわと広がっていって
それまで真っ暗な所をふわふわと浮いた感覚が しっかりと何かに縛られたように止まった…
■ 大 空 の 瞳 ■
それまで何一つ動作を見せなかった身体が、唐突に呼吸をし始める。
酸素を吸って、二酸化炭素を吐く行為が、次第に止められなくなった。
それからどれぐらいか時間が経って、ふいに指先が動く。
動ける事を知った身体は、遂にその目を開いた。
「…………」
しかし、視界にあるのは、やはり暗黒一色。
ここは…何処…?
そんな感じの事を思いながら、右腕で辺りを探る。
己の上下左右直ぐに壁があり、手の届く所に天井がある。
自分は、何か箱のような空間に横になっている。
なんとなくそう理解した後、彼は天に向かって腕を突き出した。ズ…ゴトン…
蓋が外れ、空間が広がる。
初めて視界に入ってきた色は、橙色の灯。ザアァァ……
蓋を開けた途端、連続的に響き出した雑音に首を傾げる。
何の…音だろう?
上半身を起こし、箱の外を見る。
転々と続く灯が、薄暗い部屋を微かに照らしていた。
その奥に、ぼんやりと浮かぶ、黒い木製の扉。
箱から這いずり出し、壁に手を着いて立ち上がる。
岩のように重い身体を、震える頼りない足で支えながら少しずつ扉へと近づいた。
扉に少し力を込めて押すと、それは簡単に開いた。
開いたそれの向こうにあったのは階段。その先にも、はやり扉があった。階段を上り、何回か扉をくぐって、雑音の正体に辿り着く。
空から、止め処なく水が落ちていた。
外に出ると、水が身体にぶつかって来た。
…冷たい……
「…………」
振り返る。自分の『居た』所を。何故、自分は箱の中に居たんだろう?
何故、自分は暗い部屋に居たんだろう?
何故、自分は此処に居るんだろう?
何故、自分は……
………自分?無数に疑問文が浮かんび、それが最終点へと繋がる。
自分は……誰…?
己の手を、足を、身体を見る。全て、初めて見る物だ。
「………誰…?…これ……誰?」
初めて声を出す。何をするのも、初めてだ。
「…な、に?…何処……誰…?」
掠れた声は、虚しく雨音に掻き消されていった。
雨が止むと、雲の隙間から光の帯が大地を突き刺した。
「…眩し……」
雨が止むまで彼は色々考えていた。
先ず手がある事、足があり、頭があり、胴体がある。
そして眼で光を感じる事、耳で草の擦れる音を感じ、鼻で風の匂いを感じ、肌で空気の清々しさを感じる。
本能で、自分は立派な生き物なんだと理解した。
だが、背中に付いてるモノは何の為に付いているのかは分からない。
腕にしては指が無い。物を掴むのも難しそうだ。だが、自分の意思で自在に動かせる事はついさっき知った。
しかし、それきりで思考は行き詰まり、考えても何も答えは出なかった。
自分が居た建物は、何処かガランとして人の気配がしない。
今、自分の傍に誰も居ない事も、既に答えとして出ていた。
「…誰…これ……知る、無い…」
脳内に僅かに存在する言葉を適当に組み合わせて自問自答してみるが、やはり答えは出ない。
ここには答えは存在しない、そう理解した。
その時、地面の上に丸っこい生き物がこちらを見てるのに気付いた。
「……?」
白くて小さく、どこかふんわりとした印象のある生き物だ。微かに「チ」だか「ピィ」だか鳴き声を発している。
「何…誰…?」
「………」
白い生き物は何も答えず、彼を見ていた。
「知る?これ、誰?」
自分に指差し、生き物に問いかける。
するとそれは逃げるように背を向け走り出した。
「あっ…待ッ!」
逃げる生き物を追う。追いつかれそうになり、生き物は両腕を羽ばたかせた。
大空へと逃げていく生き物。広げられた腕は、彼の背中のそれと似ていた。
「!?」
もしかして、と彼に考えが浮かぶ。
背中のそれを広げ力一杯羽ばたいた。
「う、わっ!」
一瞬身体が軽くなった。しかし、初めて動かすそれは思う通りに空へ発ってくれず、彼はそのまま大地に尻餅をついた。
だが、練習を詰めば空を飛べるかもしれない。
もう一度空を見上げる。良く見たら、さっきのと似た生き物が幾つも空を優雅に飛行していた。
茶色く大きいもの。白く長いもの。黄色く沢山いるもの…。
「…いっぱい……」
これだけ沢山居るのだから、その内一つぐらい自分を知っている生き物がいるのではないか?
ここには答えは無い。答えは…そう、あの生き物が漂う空にあるのかもしれない。
そう考えたら、彼の中に初めて何かが漲って来た。
「待っ!…一緒、みんな、いっしょ!!」
そう言って彼は友達を見つけた子どものように空を飛ぶ鳥達を追いかけていった。
自分が眠っていた城が見えなくなるまで、遠くへ、遠くへ………。
それから暫くして、彼は水や花の精気で自分の身体が満たされることを知った。春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が過ぎ、
彼は漸く鳥と自分は別の生き物と理解した。飛ぶ為のそれ以外は何も共通点が無いのを知ったから。森に住む獣の方が自分に近いと知った。
更に春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が過ぎ、
彼は漸く森の獣も自分とは大きく違うと知った。言葉を解する生き物を探さなくては。
三度目の春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が過ぎ、
彼は漸く人の住む場所を見つけた。しかし、人の操る語は彼には難しすぎた。
その次の春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が過ぎ、
彼は花の精気だけでは足りぬ、もどかしい飢えに悩んでいた。何かが足りない。そう思い始めていた。
そして春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が過ぎ、
彼は漸く、彼らに出会った。
その日、アッシュはいつもの様に買い物を終え、ユーリの城へと向かっていた。
今日の夕飯は―恐らくスマイルが駄々をこねたのだろう―カレーらしい。買い物袋の中では沢山の人参やジャガイモが肩を寄せ合っていた。
「…まだ遠いっスねぇ……」
そう呟いて、彼は遥か前方にある目的地である城を見た。
元々、人が来ないような森の奥に存在する城だ。
今でこそ、人が行き来するようになり、道らしき道は出来つつあるが、それでも片道小一時間は掛かる。
流石に慣れたとは言え、この道のりは毎回うんざりする。
いっそ車の免許を取ろうか、と考えたが、バンドと調理師免許を取得する為の勉強を両立している彼にとって、自由の時間はあまりに少ない。
その結果、結局徒歩で買い物を行き来するしかないのである。
(まぁ、仕方ない事っスけどね)
はぁ、と深い溜息をつき、アッシュは少し足を速めた。
だがしかし、その時に吹いた微かな風に、帰りを急ぐ足は直ぐに止まってしまった。
「…ん?」
風の中に混ざっていた、その匂い。
人狼特有の鋭い嗅覚は、確かにそれを捕らえた。
「ユーリっスか?」
匂いのした方向に向かって話し掛ける。
しかし、返事はおろか、気配すら感じない。
「隠れてるんスか?そこに居るのはわかってるっスよ」
その場に荷物を置いて―あまり人の通らない道なので盗まれる事は無いだろう―彼は道を外れた。
アッシュの向かう方向に誰かがいるのは間違いない。
だが、何かが引っ掛かる、と彼は思った。
何故なら、吸血鬼特有の血の匂いがしないからだ。
もしそれがユーリなら、その匂いがある筈である。しかし、それがない。
首を傾げながらも、彼は匂いの元へと辿り着いた。
「ユーリ…あ、あれ?」
そこには確かにユーリが、否、ユーリに似た人物が草の上で横たわっていた。
辛うじて彼がユーリではないと分かったのは、髪の色がユーリと異なっていたからだ。
ユーリの髪は銀。だが、彼の髪は金であった。
良く見ると、翼の色さえ違う。
「ユーリ…じゃねぇ。誰っスか?」
彼はぐったりとしたまま、目を覚ます気配はない。
ユーリの親戚だろうか…?それとも、ただこの森に迷い込んで行き倒れてしまったのか。
どちらにせよ、人が通ると思えない道の外れだ。放って置く訳にはいかない。
(…連れて帰った方がいいっスよね。この場合)
と、アッシュは金の吸血鬼を背負い、置いて来た荷物を取りに道へと戻った。
ドンドンと、乱暴に扉がノックされる。
「ハイハ〜イ」と返事を返しながら、スマイルは玄関へと向かった。
「どちらさま〜?…あれ?アッス君…うわっ」
扉の外に居た人物を見て、スマイルは驚いたような苦笑いのような、微妙な表情をする。
それもその筈。そこには、見知らぬ人を背負い、口に買い物袋を銜えて凄い形相で立っているアッシュが居たからだ。
「ど、どうしたノ〜?袋銜えちゃったりなんかして〜」
「ん〜!」
訳を話すから、早く袋を受け取れと言うように「ん〜ん〜!」と唸る。
慌ててそれを手荷物と、アッシュは大きく息を吐いた。
「あ゙〜、顎が外れるかと思った…」
「キミは元々顎外れてんじゃん。犬になったら。それより、その人ダ〜レ?」
「ああ、この人…」
アッシュが説明しようと口を開けた途端、スマイルは「はは〜ん…」と怪しげな笑みを浮かべた。
「さては、浮気だね?」
「ち、違うっス!この人はただ…」
「ユーリ〜!アッシュが浮気相手連れてきた〜!!」
と、スマイルは城の奥に居るリーダーに向かって叫ぶ。
すると―恐らく昼寝でもしていたのだろう―ふあぁ、と大きな欠伸をしながら眠たそうにユーリが近付いてきた。
「何だ?」
「だから、アッス君が浮気相手連れ込んで来たって…」
「だ〜か〜ら〜、違うってのに!」
「ほう…」
ユーリは、スマイル、アッシュ、そして金髪の彼へと目を配り、ペシッとスマイルの頭を叩いた。
「アタッ!」
「変な冗談でいちいち私を起こすな!昼寝の邪魔だ!」
叩かれた後頭部を押さえながら、スマイルは「ゴメ〜ン」と苦笑いを浮かべながら言った。「で、そいつは誰なんだ?」
三人掛けのソファに彼を寝かせたアッシュに、改めてユーリが問う。
「森の中で倒れてたんスよ。最初ユーリかと思ったんスけど髪の色が違うし…ユーリの知り合いっスか?」
「いや、知らんが」
「もしかして、隠し子?…アイテッ!」
再びユーリの手刀を食らい、スマイルはまた頭を押さえる。
「じゃあ、誰っスか?」
「分からん。ただ…」
「ただ?」
ユーリは、金髪の彼の髪を撫でるようにして言った。
「こいつはただのヴァンパイアではない。そんな気がする」
「…確かに。この人、全然血の匂いがしないんスよ。まるで、血を吸った事が無ぇみたいにっス」
吸血鬼から血の匂いがするのは、人間が服を着ているようなぐらい当然なことである。
その明かに不自然な点に、彼らは首を傾げた。
その時、自分を撫でる手にくすぐったさを感じたのか、金髪の彼は少し身じろぎをした。
「あ…」
「起きた?」
三人同時に、彼に注目する。
そして、彼はゆっくりと、その目を開いた。
「……」
最初に目が合ったのは、アッシュであった。
「あ、起きたっスか?気分はどうっスか?」
「………」
彼は答えず、次にスマイルに目を向ける。
「………」
「ンン〜?どしたの?喋れないとか?」
スマイルも彼に問うが、彼は声を出す反応を見せない。
そして、最後にユーリに目を向けた、その時、彼は驚いたように目を見開いた。
「…どうした?私の顔に何か付いてるか?」
「……あ…あっ!」
彼は上半身を起こし、ユーリの顔を、身体を凝視した。
そして、ユーリの赤い翼を掴み、口を開く。
「うわっ!な、何をする!?」
「おな、じ…」
「何?」
「……おなじ…同じッ!」
何度も、自分の翼とユーリのそれを見比べながら「同じ」と口にする彼。
それは吸血鬼なら誰もが持っている物である。
「あのねぇ、まだ顔が似てるとかなら分かるケド、何で翼ナノ?微妙に形違うし、色も全然違うジャン」
「まるで、初めて自分以外の吸血鬼を見たて感じっスね」
「そうだな」
と、アッシュの言葉に同意するようにユーリは頷いた。
「で、キミの名前は?」
いつまでもユーリの翼に関心を持ち続ける彼を一旦ユーリから放し、ソファに座らせた後、スマイルが問いかけた。
「…なま、え…?」
「そ。キミの名前」
「……なまえ……なまえ……」
オウム返しに「なまえ」と繰り返す様子を見て、ユーリが「意味を理解していないのではないか?」と呟く。
それを見かねたアッシュが、自分とメンバーを指差しながらゆっくりと言った。
「いいっスか?俺はアッシュ。アッシュ…分かるっスか?」
「…アッシュ…」
「そうっス!で、こっちがユーリ。こっちがスマイル…」
「ユーリ…スマイル…」
今度は確認の意味を込めて、無言でアッシュ、ユーリ、スマイルの順に指を指す。
「アッシュ…ユーリ…スマイル…」
そして、最後にアッシュは「彼」に指を向けた。
勿論、「彼」の名前を知るために、である。
しかし、
「……?…、…?」
「…どうしたっスか?」
「……ない…」
「え?」
「ない…」
彼は、「ない」とだけ伝えて、後は首を横に振るばかりだった。
「ないって…名前がないんスか?」
「……」
「みたいダネ」
「じゃあ、どうするんスか?」
「どうするって、名前を付ける他無かろう?」
「ええっ!?俺達が勝手に名付けて良いんスか!?」
少し動揺するアッシュに、ユーリは呆れたように言う。
「記憶障害で名を忘れてるだけかもしれん。あだ名ぐらい勝手に付けた所で誰も何も言わんだろう」
「あ、ああ、そうか。あだ名っスか。そうっスねぇ……」
「?」
アッシュは彼の顔、そして瞳を見つめた。
そして、直感に近い感覚で脳内で最初に浮かんだ言葉を口にする。
「……スカイ…スカイなんてどうっスか?」
「スカイ?」
「眼が空みたいに青いっスから、スカイっス」
アッシュの言葉に、二人は彼の眼を覗き込む。彼の明るい蒼の瞳は、確かに蒼穹の天をを思わせる色であった。
「成る程な。なかなか良い名ではないか」
「いいっスか?今日から君の名前はスカイっスよ!ス・カ・イ!」
「スカイ」と名付けられたか彼は、自分を指差して復唱する。
「スカイ…?なまえ、スカイ?」
何度もスカイと口にする彼に、アッシュは、うんうんと何度も頷いた。
「スカイ!これ、スカイ!」
よっぽど嬉しいのか、あまり表情に出さないものの何度も自分の名前を繰り返した。
これが謎の青年、スカイとの最初の出会いである。
〜fin〜
〜 あ と が き 〜元は日記小説「Artificial」として挙げていたのを無理矢理編集しました。
本当は続きがあるのですが、今回はここまで;;;
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