■ 酒 夜 ■
ある週末の夜、ヤケに機嫌の良い久々知兵助が、竹谷八左ヱ門、不破雷蔵、そして鉢屋三郎を自分の部屋に招いた。
兵助の同室の者は今野外訓練中で不在である。だからこそ三人を招いた訳であるが。
「何だよ、久々知」
「僕達に見せたい物ってなに?」
「ふふっ、実はな…ジャーン!」
兵助が取り出した物に、八左ヱ門はおぉ!と感嘆の声を漏らした。
「ちょ…!酒じゃないかソレ!」
それは人の頭程の大きさの徳利だった。しかも、御丁寧に大きく『酒』の文字が刻まれている。
「そう!今日偶然大木先生に会ってな、「お前達ももうそろそろ酒の味を覚えた方が良い」って」
嬉しそうに答える兵助に対し、雷蔵はやや不安気な表情をする。
「でも、酒は忍者の三禁じゃないか。第一僕達未成年だし…」
「三禁だからこそ、自分が酔ってしまうラインを知っておけと言う事じゃないか?城に仕えたら付き合いで呑む事あるだろうし。俺は呑むぞ」
兵助と同じく、滅多に飲めない酒を目の前に上機嫌な竹谷は四人分の猪口を床の上に並べる。
その間兵助は、恐らくつまみとして買ったのだろう、スルメイカや魚の干物も用意していた。勿論彼の好物、豆腐も忘れる事無く。
「でもやっぱりマズいよ。先生に見付かったらどうなるか…」
「その時は大木先生の所為にしたら良いじゃないか。別に私が進んで買った訳じゃないんだし」
「偶のハメ外しぐらい、先生も大目に見てくれるさ」
「でも二日酔いになったりしたら…」
「その為にわざわざ明日が休日の今夜を選んだんじゃないか」
「ほらほら、悩んでると夜が明けちまうぞ?」
暫く難しそうな顔をしたが、結局雷蔵は「じゃ、じゃあ僕も頂くよ」とやや戸惑いながら言った。なんだかんだで彼も多少酒に興味があったよいだ。
しかし、ただ一人だけ三人とは違う行動をとった。
「私はつまみだけ貰うよ」
そう言ったのは、雷蔵と同じ顔をしている鉢屋三郎だった。
彼の言葉に三人は素直に驚いた。こう言う場では彼は八左ヱ門同様、自ら進んで酒に食らい付きそうなものなのに。
「なんだ三郎、付き合い悪いな」
「一人優等生気取りでもするつもりか?」
「違うよ。ただ…酒が苦手なだけだ」
三人は意外そうに三郎を見る。見た感じでは誰よりも酒に強そうな感じなのに。あくまでもイメージの話だが。
それは、長年同室だった雷蔵すら知らなかった事だった。
「そっか、まぁつまみも色々用意したから、適当に食えよ」
「食うに関しては遠慮無く頂きますからご心配無く」
「ははっ、じゃあ始めるとすっか?」
そう言って、八左ヱ門は酒瓶の栓を抜くと猪口に酒を注ぎ始めた。
雷蔵、兵助も猪口を持つと竹谷に酌される。
「じゃ、乾杯!」
「乾杯!」
こうして、小さな酒盛りは密かに執り行われた。数分後、兵助、八左ヱ門、雷蔵の三人は着実に酒瓶を空にしていった。
三人共同じぐらい呑んでいるにも関わらず、皆酔い方が違う。
「案外、平気なものなんだな」
そう平然と答えたのはこの酒盛りの主催者の兵助。
彼は顔こそ赤いものの、まだ余裕がありそうだ。
「ん〜、俺はまだ呑めるぞ〜」
トロンと、やや焦点の合わない目線で猪口を傾けているのは八左ヱ門。
恐らく、この中で一番酔っているだろう。
「うっわ、竹谷耳まで真っ赤じゃないか」
と言って級友を心配してるのは雷蔵。
意外にも彼は、結構な量を腹に収めている筈なのに顔色一つ代わっていない。
どうやら、この中で一番強いのは雷蔵らしい。
「雷蔵、お前全然酔わねぇな」
「うん、なんだか平気。…あれ?三郎は?」
雷蔵はメンバーの一人が居ない事に首を傾げた。
先程黙って席を外したまでは三人共横目で見届けていたが、まだ彼は部屋に帰って来ない。
「小便か?にしては長いな」
「僕、ちょっと見てくる」
そう言って立ち上がると、雷蔵は部屋の戸を開けた。
しかし、そこで彼の足は止まる。
「三郎?」
「あ?やぁ」
彼は部屋の前の廊下の縁に腰掛けていた。
部屋の中にいる二人も、三郎の居場所がわかって安堵を浮かべる。
「どうしたんだよ、一人で」
「いや…やっぱ部屋の中酒の匂いがキツいからさ」
「そ、そんなに苦手だったんだ…酒」
「情けない事にな」
困ったように苦笑いを浮かべる三郎に雷蔵は彼の隣に座りながら首を横に振った。
「そんな事無いよ。酒が全く飲めない体質の人って居るしさ」
「体質で飲めないのはまだマシだよ」
「え?」
三郎が放った意味深な言葉に、雷蔵は彼を見詰める。
その視線に気付いた三郎は、持っていたスルメを少し裂くと「いる?」と雷蔵に差し出した。
スルメが欲しい訳ではなかったが、断るのも悪い気がして雷蔵はそれを受け取った。
「雷蔵は酔わないんだね」
「うん。八も兵助も顔真っ赤でさ、僕は酔う感覚ってわからないからちょっと羨ましいかな」
「あ〜、それちょっとわかる。飲まない事には酔えないんだけど、飲めないからなぁ俺は」
あはは、と笑いながら彼は味が無くなるまで噛み締めたスルメを飲み込む。
その時、雷蔵と三郎の背後を、スッと長い影が覆った。
「酔えないんだったら…」
「俺達が酔わせてやろうか?」
「え?」
二人がほぼ同時に振り向いた。そして、パシャァ!
「うわっ!?」
突然、二人は水を浴びせられた。
―否、水ではない。鼻を突くアルコール臭から、それは酒と理解する。
最も、二人の発言にある程度予想はしていたのだが、まさか本当にぶっかけて来るとは。
「ちょ、何するんだよ二人共!」
「あははは、怒るな雷蔵」
酔った勢いの悪ふざけ。二人の楽しそうな笑い声に、雷蔵の怒りは途端に収縮した。
「全くも〜、二人共酔い過ぎだよ。なぁ、三ろ………三郎?」
雷蔵は、三郎の様子がおかしい事に気付く。
先程までの笑みは消え、表情は呆然を通り越して凍り付いていた。呼吸のリズムも少し乱れてるように見えた。
「…三郎、どうした?」
雷蔵が手を差し伸ばした、その時、
「…、ぐッ!!」
「三郎ッ!?」
突然彼が口を押さえ、喉の奥から苦しげな声を漏らしたかと思うと、裸足のまま外へと駆け出して行った。
「あ……」
取り残された三人は呆気に取られて暫く身動き出来なかった。
「……ひょっとして、俺達…」
「悪い事、しちゃったかな?」
今の拍子で少し酔いが覚めてしまったのか、兵助と八左ヱ門は気まずそうに顔を合わせる。
「酔った勢いだから、許してくれるとは思うけど、問題は三郎が何処へ行ったかだよ」
「あぁ…厠、じゃないな。方向が違うし」
「あの方向だと…井戸かな?」
「井戸…」
雷蔵は立ち上がると、一度部屋の中へと戻った。
「兵助、寝巻と手ぬぐい何枚か、借りるよ?」兵助が予想した通り、三郎は井戸の側で蹲っていた。
雷蔵はその丸められた背にそっと手を当てると、三郎はビクリと肩を震わせ、跳ね上がるように振り返った。
「っッ!?」
「っと、タンマタンマ。僕だよ」
少しの時間、視線が交わる。しかし、直ぐに三郎は顔を伏せてしまった。
さっき三郎に触れた手が濡れている。更に良く見れば彼は全身から水を滴らせていた。
それに加えて、周りの地面も濡れている事が、彼は頭から井戸水を被った事を物語っていた。
「取り敢えず、新しい寝巻と手ぬぐい、置いておくから着替えろよ?」
井戸の縁の濡れてない場所を選んで手ぬぐいと寝巻を置くと、雷蔵は井戸水を汲み上げる。
そして、持っていた手ぬぐいを絞ると、自分の身体を拭き始めた。
とは言うものの、彼は殆ど着物の上に酒が掛かっていた上に既に着替え終えていた為に汚れもあまり気にならないのだが、残り香を残したくないと言う三郎への心配りだった。
まだ落ち着かないのか、それとも情けない所を見られて恥じているのか、暫く三郎は座り込んだまま動かなかったが、やがてのろのろと手ぬぐいに手を伸ばした。
「兵助達の事、怒らないでやってくれよ?酔った勢いだったし、一応反省してたし」
「…別に怒っては無いけど…ヤッベェ、目茶苦茶みっともない所見られた…」
漸く彼の口から出た声は、泣くのを我慢してるかのように震えていた。しかし、雷蔵は敢えてその事に触れずに話を続ける。
「何で?酒苦手なんだろ?仕方無い事だよ」
「でもさ、ちょっと酒引っ掛けられただけで取り乱しちまって…あーっ、恥ずかしい。綾部の落とし穴で良いから穴があったら入りたい」
「馬鹿な事言ってないで早く着替えろって」
もう酒の匂いがしない事を確認すると、雷蔵は無理矢理三郎の着物を剥ぎ取った。
「うわっ!?お前、何!」
「背中、拭いてやるよ。二人の方が早いだろ?」
最初は軽く抵抗したものの、直ぐに三郎は諦めたようにため息をつく。
「お前だけだからな。俺のみっともない所、見せても良いって思えるのは」
「光栄だよ。三郎…」
そう言って雷蔵は三郎の肩を優しく抱き締めた。暫くして二人は兵助の部屋に戻った。
しかし、そこで彼らが見たのは酔い潰れて眠っている級友の姿だった。
「あ〜あ、風邪ひくよ?二人共」
声を掛けてみるが、二人共スヤスヤと夢の中。朝まで起きそうに無い。
「私達も此所で寝るか?」
「え?でもここまだ酒臭いよ?大丈夫?」
「あぁ。匂いは…なんか鼻が麻痺してきた」
「そ、そうか…」
押し入れを開け、中から掛け布団を取り出す。
おつまみの皿を部屋の隅に寄せると先に眠っている二人にそっと掛けてやった。
「あ…掛け布団、あと一枚しかない」
「一緒の布団で寝るか?久し振りに」
「言うと思ったよ」
ニヤリと悪戯っぽく笑う三郎。その笑顔を見て雷蔵も安堵の笑みを浮かべる。
そして、ロウソクの灯を消すと、二人は寄り添い合いながら安らかな眠りへと身を沈めた。次の日、兵助と八左ヱ門は雷蔵の心配した通りに二日酔いになってしまったのは言うまでもない。
〜fin〜
〜 あ と が き 〜投げやりな締め方は許してください。
また後日うpる話の伏線を引きたかった為に書いた話です。
雷蔵>久々知>竹谷の順で酒に強いです。鉢屋は飲めないのです。
飲めない理由、不破は何か勘付いてるようです。因みに私は鉢屋攻推進です。鉢屋受も好きですが。
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