■ 妖 狐 の 夢 ■




 それは記憶も朧気な昔の話。

 ある山奥の、他者を寄せ付けないような深い緑に囲まれた場所に、その村はあった。
 人口は二百と数名。
 外界と離れている所為で殆どの人はその村で生まれ、その村で死んで逝く。一生を村の中で過ごす者も少なくない。
 不自由を強いられている地域だが、戦の火も遠く、比較的平和だった。

 年に一度の、その日を除いて。

「三郎!早く登って来いよ!」
「ま、待ってよ兄ちゃん!」
 春が終わり、もうすぐ梅雨に入るであろう季節、村の中心にある木を元気に登る二人の少年がいた。
 一人は5歳ぐらいの活発な少年。もう一人は三郎と呼ばれた4歳の少年。
 二人は村では話が行き渡る程仲が良く、二人で遊びに出掛けては、こうして木に登ったりして遊んでいた。
「ほら見てみろよ。大人があんなに小さいや」
「本当だ!おーい!」
 下で少年達を見上げる大人が手を振る。振ったその手が米粒程の大きさに見えてしまう程、彼らは高い所まで登っていたのだ。
 その樹齢数百年は達しているだろう木は、村では御神木とされていた。
 枝が多く、一番低い枝には木登りをする子どもの為に吊した縄があった。
 誰が登っても登り易い木。しかし、この木には不思議なしきたりがあり、齢が5歳を過ぎた者は決して登ってはならないと言う決まりがあった。
 なのでこの村でその木に登れるのは、その二人のみだった。

「なぁ、明日は何して遊ぶ」
 遊び疲れて、適当な枝で休んでいた時、三郎は徐々に赤く染まりゆく空を眺めて言った。
「木登り!」
「また木登り?」
「うん。また」
「なんで?」
「だって俺、もうすぐこの木に登れなくなるんだぞ?」
「あ、そっか」
 村を見渡せる木。少年は木の上から村を眺めるのが好きだった。
 しかし、しきたりにより彼はこの景色を見る事が無くなるのだ。
「わかった。兄ちゃんが6歳になるまで毎日木登りしよう!」
「あぁ、約束だからな、三郎」
「うん!」
「じゃあ、今日はもう帰ろうか」
 そう言うと同時に、彼は木を慣れた足取りで降りていった。
 後を付いて行くように三郎もゆっくり降りて行く。
 彼が土の上に足を付けたその時、一人の老婆が少年に近付いた。
「あれ?大婆様が…」
 恐らく村で最高齢と思われる老婆が手招きをしている。
「なんだろう?」
 5歳の少年が老婆に駆け寄る。三郎はそれを少し遠くから眺めていた。
 周りの大人がひそひそと話をしている。三郎はよく聞き取れなかったが、「おり…おり…」と言った感じの事を大人達は話していた。
 やがて老婆と話していた少年は、三郎の所へ戻ると困った顔して話した。
「ごめん。俺、早く帰んなくちゃ」
「え?兄ちゃん今日は僕の所でご飯食べるんじゃなかったの?」
 もっと遊べると思ったのに、と三郎は肩を落とす。
 三郎は彼を「兄ちゃん」と呼ぶが、実の兄弟ではない。一人っ子の三郎に、彼はまるで兄のように面倒を見、また三郎も本当の兄のように慕っていた為、そう呼ぶようになった。
「本当にごめん!明日は絶対ご飯食べに行くから」
「んー、絶対だよ?じゃあ約束のおまじない!」
 三郎は自分の手首に巻いてた紐を少年の手首に巻き付けた。
 チクチクと繊維が肌を刺すそれは、手首に巻いてるだけでも存在感が強い。だが、存在感が強いだけに約束も忘れそうに無い。
「うん。じゃあ、また明日な!」
 簡単に別れを告げ、少年は帰っていった。
「またね!」
 三郎も、少年に手を振ると、同じく帰路についた。

 それが、三郎が見た少年の最後の笑顔だった。

 次の日、三郎は少年と約束した場所へ向かった。
 しかし、いつも先に来てる筈の彼が居ない。
 暫くその場所で待つ事にしたが、待てども待てども少年は来なかった。
 不安になり、三郎は彼の家に向かった。彼の母親に聞いてみたが、わからないの一点張りだった。老婆の家にも行ったが、結果は同じである。
その後、村の全ての家々を回ったが、とうとう三郎は彼の姿を見る事は出来なかった。
「昨日、おまじないまでしたのに…兄ちゃんのばか…」
 泣きベソをかきながら、三郎はトボトボと自分の家へと戻った。

 その夜、村は騒然となった。
 山から人ならず者―妖怪の類の者―が下りて来たと言う。
 物々しく銃や刀を構えた男達が、村の中心で妖怪退治の準備をする。
 幼い三郎は、家から出る事を禁じられたが、夜の時間帯なので、三郎からすれば後は寝るだけの時間だ。
 家の外の音が届かぬよう、三郎は母親に縋り付くように眠った。

 翌日、目覚めた三郎が最初に聞いたのは、少年が死んだと言う知らせだった。

 母親に連れられ、三郎は少年がいる場所へと向かう。
 村から少し離れた、山の中に彼はいた。
 真っ赤に染まった地面に横たえ、被せられた筵さえ血で汚れていた。
 筵で少年の顔を見るのは適わなかったが、筵からはみ出した手首に巻き付けてある紐は、間違い無く三郎が与えたものだった。
 三郎は泣いた。まだ幼い彼が「死」を理解するのは難しかったが、もう二度と少年と遊ぶ事が叶わない。その事実だけは三郎の心を突き刺した。




 やがて月日はめぐり、また梅雨が始まる季節がやって来た。
 その一年間、三郎は毎日のように木に登り続けた。
 木に登れば、また少年に会えるような気がした。高い所へ行けば、少年がいる所へ近付ける気がした。
 毎日登るものだから、三郎はすっかり村一番の木登り名人になってしまった。自分より幼い子ども達に木登りを教えてあげるぐらいだった。
 ある日三郎は、木から下りた所を老婆に声を掛けられた。
「三郎」
「あ、大婆様」
「三郎、ちょっとこっちへ…」
 三郎は手招きされるまま、老婆の後を付いて行った。
 周りの大人達がひそひそ話を始める。成長した耳は「おりた…おりた…」と言う声を拾った。確か去年も同じ事があったような…。

 三郎がたどり着いたのは老婆の家だった。
 老婆の家は村で一番大きく、彼も良く遊びに行っていた。
 更に招かれ、三郎は禁じられた間の前に来る。
 その部屋は厳重に鍵が掛けられているにも関わらず、彼がこの家に来る度に決して開けてはならないと言い聞かせられていた間であった。
 その開かずの間が老婆により開かれ、三郎は好奇心に胸を膨らませた。
 その部屋は暗くて狭く、壁で囲まれた場所だった。
 隠れんぼするに丁度良いかも知れない、と三郎は密かにそんな事を思う。
 老婆がロウソクに火を付け、部屋の内部が良くわかるようになった。
「うわぁ…」
 狭い部屋の壁には、お面が飾られていた。
 鬼、天狗、河童、狸、狐…。狭い部屋の壁をぐるりと一周するようにそれらはあった。
「一つ、気に入った物をお前にやろう」
「ほんと!?」
 顔を輝かせ、三郎は部屋に入って間近でお面を見た。
 一通り見回し、彼は一つのお面を指差す。
「これがいい!」
 彼が選んだのは狐のお面。
 老婆は微笑むとそのお面を取ってやり、三郎に手渡した。
「ありがとう!」
 早速彼はそのお面を被った。
 少し大きいが、頭の後ろで紐を縛れば十分被る事が出来た。
「今日はもう遅いから泊まっていけ」
 老婆の言葉に、三郎は喜んでその家に泊まる事にした。
 明日、このお面の事を皆に自慢するんだ。そう思いを胸に秘めて。

「おりた…降りた…山から、厄災が降りて来た……」

 その夜、三郎は村の男に叩き起こされた。
 夜明けにはまだ遠い時刻、眠い眼を擦りながら三郎は寝ぼけも手伝ってフラフラと男に着いていった。
 そして若い女に服を脱がされ、冷たい液体に浸された布で身体を清められる。
「…ッ…冷た…」
 夏も間近な時期、日中は暑いとは言え流石に夜は冷える。
 身体に当てられた布の冷たさに、三郎は漸く意識をハッキリさせた。
(え…な、何…?)
 改めて周りを見渡せば、皆白い着物を着た人や首飾りをジャラジャラ鳴らしている人が見えた。
 あれは年に一度開かれる祭の時にしか着ない衣装だ。
 今からお祭でも始めるのだろうか。内心ワクワクしながら、三郎は大人しくなすがままに身体を清められた。
 身体を拭かれた個所からは、微かに酒の匂いがした。

 やがて真っ白な着物を着せられ、三郎は裸足で外に出るように言われた。
 小石が足の裏に刺さり、痛くて歩きにくいと言ったら我慢しろと言われた。
 外では沢山の大人達が御神木を囲むように立っていて、その中心で火を炊いていた。
 そして、その火の側に座れと言われる。
 逃げられないように、大柄の男に肩を押さえ付けられた。
 自分の背丈の二倍程ある炎の迫力は凄まじく、三郎は恐怖を覚えた。
「やだ…ここ熱いよ…っ」
 訴えるように大人達の方へ目を向けるが、誰も火から離れる事を許してくれない。
 ややあって、大人達はお祈りを捧げた。
 老婆が呪文のような意味不明な言葉を叫ぶように唱える。
 三郎はと言うと顔がヒリヒリする程の熱気とはぜる音と共に大量に舞い上がる火の粉に怯え、声を上げて泣き出した。
 早く、早くこの時が過ぎるように。三郎は願いながらひたすら泣き続けた。

 やがて祈りは終わったのか老婆が退場すると一歩だけ火から離れる事を許された。
 熱さからは少し逃れたが、まだ顔が熱い。熱気に晒された身体からはポタポタと汗が滴り落ちた。
 だが、悪夢はこれで終わらなかった。
「これを口に入れろ」
 男が差し出したのは酒に浸された布切れ。小さく畳まれていたが、それでも口に入れるには大き過ぎる。
 いやいやと抵抗すれば頬をはたかれた。その隙を付いて、男は無理矢理口の中に布をねじ込む。
 初めて知った酒の味は、幼い三郎には酷く感じ、舌の圧迫も手伝って少しえづいた。
 やがて布が全て口の中に収まると、背を押さえていた男が、今度はガッチリと頭を押さえ込んだ。
 そして、別の男が小刀を手に三郎の前にしゃがんだ。
 男は三郎の顔に手を添えると、刃の先を彼の右頬に当てる。

 切られる!そう思った時にはもう、刃が頬の肉を少し削っていた。

「ーーーっッッッ!!!」

 布越しにぐもった悲鳴を上げる。
 涙と混じり、頬から滴となって落ちた血が、容赦無く三郎の着物を汚した。
 頬の激痛と耐えがたい恐怖に三郎は逃げようと暴れ出すが、更に別の大人達が駆け寄り、三郎の身体を強く押さえ込む。
 やがて、男が三郎の頬に紋を刻み終えると、傷口が開いたままだと言うのに、その傷付いた顔を何か板のような物で覆った。
 板に付けられた紐が後頭部で交差し、首にまで巻き付いた。
 極端に狭くなった視野。彼は漸く、これは夕方自分が選んだ狐のお面である事に気付いた。
 固くお面の紐が結い付けられた瞬間、大人達は逃げるように三郎から離れた。
 これで終わりなのか。頬の痛みが消えず、未だぐもった声を上げて泣き続けている三郎。
 だが、更に小刀を持った男は、周りにいる衆に向かって大声で言った。

「今をもって、三郎は厄災の化身によって喰い殺された!此処にいる童(わらべ)は、最早三郎などではない!今から『厄追い』を執行う!」

(え…?)
 男の言葉に、三郎は我が耳を疑う。
 自分は三郎だ。殺されてなどいない。
 だが、周りの大人達は武器や石を持って立ち上がった。
 一人の男が三郎に向かって石を投げる。それを合図に、一斉に石が投げられた。
(やだッ…痛っ…皆、やめてよ!!)
 石から逃れるように、三郎は走り出す。大人達はすかさず「追え!」と声を上げた。
(嫌だ!助けてッ…大婆様!)
 三郎は先程まで優しかった老婆の元へ駆け寄る。
 しかし、刀を持った男がその前に立ちはだかった。
「この物ノ怪め!大婆様を襲うとは小生意気な!」
 刀が振り下ろされる。刃先は三郎の着物を掠めた。
「これ!村の中で物ノ怪を殺めてはならぬ!村の外に追い出してからじゃ」
(大婆様…!)
「ふん、口も聞けぬ汚らわしい化物め、とっとと村去れ!山へ還れ!!」
 優しかった老婆の口から、冷たい言葉を突き付けられる。
 口が聞けないのは口に布を詰め込まれているからだと言うのに。
 やがて石だけに止どまらず、松明の火さえも三郎を容赦無く襲った。
(う、うわあああぁぁああッ!!)
 恐怖と痛み、そして絶望に苛まれながら、彼は無我夢中で逃げ回った。
 もう三郎を救えるのはただ一人、彼の母親のみとなった。
 藁をも縋る思いで、彼は自分の家の中に逃げ込んだ。
「っ!」
(お母さんッ…!)
 母を呼ぶ。その声は、やはり言葉にならなかったが、家の中の女性は確かにその声の意味を捉えた。
「三郎…!」
 自分を呼ぶ名に、三郎は安堵し、おぼつかない足取りで両手を伸ばした。
 良かった。お母さんなら僕を助けてくれる。優しくしてくれる。
 そんな淡い希望は、伸ばした手をはたく音により脆くも崩れ去った。
「お前は三郎ではない!さっさとこの村を出て行け!」
 悲痛とも言えるその声に、三郎はここにも自分の居場所が無いと知った。
(そんな…お母さん…っ!)
「早く!早く出て行け!」
 母親は箒を手に取ると三郎を家からはたき出した。
(痛っ!母さ、ん…!)
 家に出た途端、母親は強く戸を閉めた。
 引こうとしてもどれだけ叩いても、二度とその戸が開く事は無かった。
 その間も絶え間無く石を投げ付けられる。
 煮えを切らした男が、松明の火を三郎に近付けた。
「ッ!?」
 直ぐそこまで迫った火に、三郎は先程間近で見た炎の恐怖を思い出す。
 大人に囲まれ、石を投げられ、刀で切り付けられ、実の親にさえ見捨てられた。
 それはかつて無い程の恐怖と絶望。
 三郎はただ助かりたい、その本能の一心だけで再び走り出す。
 もうこの村にはいられない。彼は村を出て山に向かって走った。

「物ノ怪が村の外へ逃げたぞ!」
「殺せ!村の外なら殺しても大丈夫だ!」
「もう村に戻って来れぬようにせねば!」

 三郎の側で大人達が大声を上げる。
 しかし、誰も彼の存在に気付かない。
 道外れの木の根の下に彼はいた。
 丁度子ども一人が入れる小さな空洞。流石に大人達も気付かないだろう。
 彼は穴の中、蹲るように今まで感じた事の無い息苦しさと気分の悪さに苦しんでいた。
 走り過ぎて身体が酸素を求める。しかし、口は布で塞がれている為空気が入り込まない。
 仕方無く鼻で呼吸するしか無いのだが、その度に濃い己の血の匂いに噎びそうになる。
 それに加え、心細さと凍て付いた恐怖に、三郎は胸元を強く掴んで苦しさに耐えた。
 何度もお面を外そうと試みるが、紐は首にまで巻き付いている為、無理に外そうとすれば首が絞まった。また、指先が結び目を見付けても、幼い手ではそれを解く事も出来ない。
 永遠とも感じられる時間。
 やがて大人達の声は遠ざかり、代わりに鳥の鳴き声が聞こえた。
(…鳥…?)
 恐る恐る外の様子を見る。空は白み始めていた。
 よろよろと穴から出る。足が引き裂かれそうなぐらい痛い。
 足を見れば、逃げる時に付けたのだろう傷が沢山付いていた。
 だが、痛みは大した苦ではない。一番の苦は寂しさだった。
(…帰らなくちゃ…)
 きっとこれは悪い夢なんだ。目覚めたらきっとお母さんが朝食の準備していて、外に出たら皆おはようって言ってくれて、小さな子ども達が木登り教えてとせがんで来て…。
 夢じゃないとしても、きっといつもと変わらない毎日が始まる。あの村の人が皆優しいのは、三郎は良く知っていた。
(帰らなくちゃ……あッ!)
 突然、地面が顔に迫った。盛り土に足を取られて転んだのだ。
 擦り剥いた膝を押さえて、彼はつまづいたそれに目を向ける。
(…あ!)
 それは、かつて彼が「兄ちゃん」と呼んでいた少年の墓だった。
 他の村の人達は、皆同じ場所に墓を作るのに、彼だけは人の通らないようなこの場所に墓を立てられた。
 何故皆と違う場所に墓を作るのか、彼は疑問に思ったが大人達は答えてくれなかった。
 でも今ならわかる。
(去年の妖怪、兄ちゃんだったんだね)
 少年は妖怪に殺されたんだと、彼は思い込んでいた。
 でも本当は妖怪は少年の方で、妖怪になった彼を大人達が殺したのだろう。
 もしかしたら、彼も寂しさに耐え兼ねて村に戻ろうとしたのかもしれない。
 まるで今の三郎のように。
(兄ちゃん…ッ、兄ちゃん…!)
 枯れたと思っていた筈の涙が再び溢れ出した。
 盛り土に縋るように、三郎はわんわんと声を出して泣いた。
 ふいに、三郎に盛り土に影が伸びる。
 驚いて振り返れば、大人達が三郎を囲む様に立っていた。

 物ノ怪が戻って来た…
  疫病神を始末しろ…
 早く殺してしまわないと…
  村に厄災が…

 …三郎……

 大人達が迫る。三郎は恐怖で身体が動かない。
(嫌だ…っ…死にたくないッ!!)

 殺せ…
  ころせ…
 コロセ…
  早く、殺せ…

 ねぇ…三、郎?

 若い男が三郎の肩を掴む。
(嫌だ!嫌だッ!!)
 激しく抵抗する彼に、男は優しい口調で言った。

「三郎…大丈夫?」

「ッ!!?」

 突然、辺りが再び闇に落ちた。
 白んでいた筈の空が、見えなくなり、代わりに級友の顔が目の前に現われた。
「三郎?」
「ぅ、うわああぁぁあッ!!」
 夢と現実の区別が付かず、三郎は雷蔵から逃げるように身体を退かせた。
 三郎の背が壁にぶつかる。寝起きで身体が付いていかないのか、そのままへたりこむように座り込んだ。
 一方雷蔵は慌てる様子も驚く様子も無く、落ち着いている。
 彼は右手で三郎の左手を掴むと自分の頬へ押し当てた。
「三郎、僕を見て」
「…ッ!!」
 恐怖からか、三郎は顔を伏せたまま雷蔵を見ようとしない。
 埒が明かないと思ったのか、雷蔵はもう片方の手で三郎の顎を持ち上げると無理矢理目を合わせた。
「三郎、僕を見て」
 もう一度、同じ事を言う。
 三郎の恐怖を宿した瞳が、雷蔵の姿を映した。
「三郎。さっきのは夢。でも、これは現実だよ」
 雷蔵と三郎の視線が絡み合う。
 雷蔵は片手で三郎の肩を優しく撫でた。
 視覚と触覚、聴覚で彼は同級生にこれは現実であると教える。
 それだけで、三郎は少しずつ恐怖が和らいでいくのを感じた。
 やがていくらか落ち着きを取り戻した三郎は、雷蔵の背に腕を回して抱き寄せた。
 これは三郎が雷蔵に伝える、「もう大丈夫」と言う合図だ。
「三年振り?三郎が夢にうなされるの」
「…もう、そんなに経つんだっけ?」
 若干震えているが、それでもちゃんとした声で三郎は答える。
 これが始めてでは無い。これまで何度か三郎は夢に怯えて飛び起きる事があった。今回は起きる前に雷蔵が起こしたのだが。
「僕、今でも覚えてるよ。一年の時だっけ。いきなり三郎が泣きながら飛び起きて、三郎の側に居ようか先生呼ぼうか迷ってしまって…」
「結局そのまま朝になったんだよな」
「そうそう、そのまま授業受けたから僕も三郎も寝不足で、そして居眠りして先生に怒られて…」
 ふふ、と笑いながら雷蔵は言う。明るく振る舞うのが暗黙の了解となっていた。
 下手に心配するよりも、その方が気が楽と言う。勿論、雷蔵も落ち着いたら大丈夫と知っている為、無理に明るく接するような事は無い。

 暫く他愛の無い話をし、三郎はすっかり元の調子に戻っていた。
 抱き合っていた腕はいつしか自然に解れていた。
 外はまだ明ける様子が無く、月明りだけが明るく部屋を照らし出す。
「汗掻いただろ?水、持って来てやるから寝巻着替えておけよ」
「あぁ、ありがとう」
「良いって良いって」
 そう言って雷蔵は部屋を出て行った。
 言われた通りに三郎は寝巻を脱ぐ。汗は引いていたが、それでも着ていた服はジットリと濡れている。
 新しい寝巻に手を伸ばした時、空けた窓から風が入り込んで来た。
「んっ…」
 重く纏わりつくような、湿気を含んだ空気。
 風が、また梅雨が近付く事を教えてくれた。
「痛ッ…」
 ふいに、右頬がズキリと痛んだ。雨が近いらしい。
 しかし、痛む個所に手を当ててもそこに傷は無い。雷蔵に借りた、顔があるだけだった。
「………」
 時々、無性に偽りの顔を破り捨てたくなる。
 雷蔵に自分の素顔を晒して、認めて貰えたらどれだけ幸せだろうかと思う。
 しかし、それは出来ない。もし、この呪いを刻まれた素顔を雷蔵が見たら何と思うだろうか。
 もし、怖がられたら…。もし、気持ち悪がられたら…。

 もし…拒絶されたら…。

 ズキン、と再び傷が痛んだ。
 雷蔵、君は私が呪われた存在と知っても、私の隣にいてくれますか?

〜fin〜




〜 あ と が き 〜

やっちゃいました捏造話。暗い生い立ちなのは尻尾に気に入られたキャラへの洗礼です(マテ)
前回の「酒夜」の伏線を繋いでます。
三郎が酒が嫌いなのはこの時のトラウマ。雷蔵は何かに気付きかけているがあえて触れない。
しかし雷蔵、どう見てもオカンです。本当にありがとうございました。




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