早いもので、スマイルがユーリの城に暮らすようになってから8年の歳月が流れた。
 ある日の夜、二人はテーブルに着き夕食をとっていた。
 いつもの時間にいつもの夕食。
 しかし、いつもなら談笑しながら食べているのに、今日は何故か静かである。
「……おい、何黙り込んでいる?」
 沈黙に耐え切れなくなったのか、ユーリはスマイルに話しかけた。
「…別に」
 その問いに、スマイルはそっけなく答える。
 彼がユーリと目を合わそうとしない。
 何かを隠している時の彼の癖だ。
「何を隠している?」
「何も隠してないよ」
「嘘を言うな!正直に言え!!」
「でもッ!」
「言え!!」
 バンッ!と机を叩き、ユーリは怒鳴るように言った。
 その威圧感に、スマイルはビクッと身体を震わせ、今にも泣きそうな顔をする。
 でも、彼は俯き、何も言わなかった、否、言えなかった。
 ユーリは、ふぅと溜息を吐く。
 彼は、知っていた。スマイルが何故黙りこくっているのか。
「…旅に出るのか?」
「ッ、どうし…!」
 どうしてと言いかけ、彼は慌てて口を塞いだ。
「別に隠す事でも無いだろう?お前が前々から準備をしていた事は知っている」
「…止めないの?」
「若い内に見聞を広めた方が良いと言ったのは私だからな」
 それは、ユーリがスマイルに、外の世界に興味を持って欲しいと思った時から覚悟していた事だった。
 いつか、彼もこの城を旅立つ日が来ると。
 だからユーリは、スマイルが影で旅の準備をしていても、止める事はしなかった。
「で、何時なんだ?」
「え?」
「出発」
「…明日」
「随分と急だな」
「…ゴメン…」
 そう言って、彼は持っていたスプーンを強く握る。
 恐らく、黙って出てゆくつもりだったのだろう。
「謝らなくても良い。だが、これがお前との最後の食事となると、寂しくなるな」
「………」
 暫く沈黙が続いた。長い長い沈黙が。
 そして、二人が食事を終わらせると同時に、それは終わりを告げた。
「あのさぁ、ユーリ…」
「何だ?」
「一つ、お願いしていい?」




 それから数十分後、スマイルはユーリのベッドの中にいた。
「本当にこれだけでいいのか?」
「…うん。ボク、ユーリと一緒に寝た事無いから……」
 彼が最後に望んだ事、それは、ユーリと一緒に寝る事だった。
 明日はもうここにはいないから・・・
 せめて、今晩だけでも、ずっと一緒にいたい。そう思っての願いだった。
「ねぇユーリ、確かユーリもボクと同じぐらいの時に旅に出たんだよね?」
「ああ」
「その時ってどんな気持ちだった?」
「…よく覚えていない。お前は今どうなんだ?」
「…わかんない。ワクワクしてるのか、不安なのか…」
「そうか…多分、私もそんな気持ちだったのだろう」
「うん…」
「……スマイル。明日は早いんだろう?そろそろ寝ろ」
「…うん」
 頷いて、彼は布団の中に潜った。
「…ユーリ」
「何だ?」
「子守唄、知ってる?」
「…一曲だけなら」
「歌ってよ。そしたら寝るから」
「……」
 少し間を置いて、ユーリは子守唄を歌い始めた。
 それは優しく、何処か懐かしい感じがする歌だった。
 聞くだけで心が温かくなるその歌声に、スマイルはうっとりと目を細めた。
「ユーリって、歌上手いね。もっと聞いとけば良かったな〜…・」
 と、彼は歌っているユーリに聞こえないように呟いた。




 次の日の朝、スマイルはユーリに森の外まで送ってもらった。
 初めて二人が外へと出かけた、あの場所まで・・・
「今までありがとうね。ユーリ…」
 と、スマイルは寂しそうに、でも笑いながらユーリに言った。
「…スマイル、これも持って行け」
「え?」
 ユーリは彼に、小さな茶色の、薄汚れた袋を手渡した。
 その中にはお金が、しかも、旅人が一ヶ月は普通に暮らしていけるだろう程の金額が、その中に入っていた。
「えっ!だ、駄目だよ!こんな大金…」
「かまわん。どうせ城に置いていても意味の無いものだ」
 恐らく彼は、スマイルが旅立った後は、長い眠りにつくつもりなのだろう。
 それなら確かに、金などあっても意味の無い物だ。
「でも……それじゃあ…」
 ポタッと、袋に雫が落ちた。
「…ボク…何てお礼を、したらいいのか…解んないよぉ……」
 今まで我慢していた所為か、スマイルの涙は、止まる事無く彼の頬を流れた。
「例など要らん。私がしたくてしている事だ」
「…ゆーりッ…」
「だから、泣くな」
「…うん」
 スマイルは、手の甲で涙を拭いた。
 そして、ユーリはスマイルの体をそっと抱き締め、彼の耳元で囁く様に言った。
「もし、それでもお前が礼をしたいと言うのなら、一つだけ約束しろ」
「…約束?」
「いいかスマイル、次にお前が私に会う時には、その名前が似合う男になっていろ」
 『スマイル』。つまり、笑顔の似合う男になっていろ。
 それは、約束であり、ユーリの願いでもあった。
「いいか?」
「……うんッ!」
 彼は、ユーリから体を離し、笑って見せた。
 これが笑顔の似合う男の、第一歩。そう言わんばかりに。
「体に気を付けてな」
「ユーリもね」
 そして、スマイルは道を歩き始めた。
「じゃあね!」
「またな!」
 お互いに手を振り、スマイルは走り去った。
 走らないと、また振り返ってしまって、中々前に進まない気がしたから。
 そしてユーリは、スマイルが見えなくなるまで、ずっと彼の姿を見送った。




 こうしてスマイルは、ユーリの元から巣立っていった。

 世界は広い。この広い世界には何があるのだろうか。

 そんな思いを、胸に秘めながら……






 …だが、






 彼の耳に、森の中の城に住んでいる吸血鬼が、長い眠りについたと言う噂が届いたのは、それから僅か数日後の事だった。




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